@ 始まり


指導者として何の経験もない、右も左も知らない若造(20代)に、

「ええから、好きにやれ。」

といつもただその一言だけ。

この人に恥をかかされへん・・・
選手を勝たせてやりたい・・・

ただただ、その想いだけでした。
選手と前へ進むことしか考えていなかった6年間。知らないところで各方面へ面倒を度々掛けていたと思います。
今思えば、出来の悪い可愛くない小僧だったと・・・。

選手にも恵まれ、数々の素晴らしい経験をさせていただきました。
今改めて当時を振り返ると、あの方のおかげで今の私があります。
言葉では言えない、一生の感謝しかありません。



A 気付いたら14年


様々な経験をさせていただき、見たくない物を見て、知りたくないことを知ってしまい、
もう中学硬式(クラブチーム)は懲り懲りや。2度とやりたくない。
そう思って野球からは離れ、ゆっくりした日常が戻り始めた頃、また野球が始まることに・・・。
4人のおかげで・・・。

野球チームを創設するにあたり、私から彼ら4人への条件は、
「加盟はしない。所属はさせない。ただ野球をやるだけならば。」
そこから初めて試合ができたのは9ヶ月後でした。

あれから13年が経ちました。
各関係者、皆様の温かいご支援・ご協力により、今の日常は練習や試合など野球の活動をすることには、何不自由がない状況となりました。
※全国大会がない
※日本代表には選ばれない
そんな縛りがある中でもウチを選んでくれた卒業生や在部生には、
感謝と同時に、純粋に野球を頑張ってくれたことに敬意を表したいと思います。
毎年、毎年、強運やわ・・・。
この13年、今もつくづくそう感じております。
本当に良い選手・保護者に巡り合えていることが有難いです。

どんな理由があれ、何年経とうが、
今の私があるのは、あの方に育ててもらった6年間(@)があるからこそ。
決して望んで無所属を選択してきたわけではない。
そこに意図や思惑、流行りも何もない。
敢えてこのスタイル(無所属)で活動を貫いてきました。

今回、様々なタイミングが重なり・・・

13年が経ち、チーム登録(大会登録)ができる時期がやってきました。




B 次の段階へ


母体は南大阪ベースボールクラブです。
これまでと同じ。活動やチーム方針に何ら変わりはありません。
ただ、過去の卒業生たちが得ることができなかったこと。
これからの選手・指導者には経験させてやれるように・・・
今と変わらず指導にあたりたいと思います。
また、当クラブのことだけではなく、次の展開が必要な時がきました。

第3章も・・・

気付いたときはやり遂げていた

何年先になるかは分かりませんが、
そうなるようにしていきたいと思います。