毎年、甲子園大会が終わるとこういった問題定義がされます。
ここ10年とまではいかなくても、ここ数年は必ず「連投・酷使」について議論されます。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180831-00831761-number-base&p=4


連投・酷使問題はいつの間にか「感動・美談」として話がすり替えられ、世間のフィーバー化、当事者のチーム・選手は「ヒーロー扱い」となる。
毎度、毎度そうである・・・
ということは、この数年、野球界の根本はさほど変わっていないということである。


なぜ、親御さんや子どもたちは、中学校の部活ではなく課外活動の「クラブチーム」を選択するのか

答えは明白です。


勝利至上主義で何を得るのか、誰が何の得があるのか

これも答えは明白です。


子どもたちや親御さんの目標や夢はどこにあるのか

指導者はその夢のお手伝い・フォローをすることに従事する。
私的な感情や欲はそこには必要ないのでは・・・。
オッサンになっても、「野球に携わることができる」
本来、それだけで有難いことなのです。


大会規定で投球数や登板のイニング制限は、ほとんど意味がない。
なぜなら、日常の練習から全て繋がり蓄積されていくから。
1週間でどのくらいなのか、1ヶ月でどのくらいなのか。そして、シーズン(1年)でどれくらいなのか。
目安となる数字はその時の試合や大会だけではないということです。
しかし、競技スポーツや勝負事をしている以上、「勝たなくていい」わけにはいかないし、勝ちを目指すことは必要です。

「今の勝ちと将来への価値」そのバランスの舵取り

これがアマチュア野球の指導者には必要ではないのでしょうか・・・。


また、上記の記事内に会った部分。

【私は今、幼稚園児や小学校低学年の「野球普及教室」をたくさん取材している。そんな幼児のレベルでも、ボールを投げたり、バットで打ち返すのが上手な子が必ず出てくる。持って生まれた才能というのは抗いがたいものだと思う】


そういうこと。
ひとり、ひとり成長の速度や訪れるピークが異なるということ。

この「ひとりひとりへの見極め」が指導するにあたり、最も大切な事項であり指導者の責任が問われる部分である。

・待ってやるべき子にはとことん待ってあげること
・早熟型の子には、勘違いを持たせないさせないこと
・溢れる才能を持った子には、ピークを迎える時期を間違わないように誘導していくこと

ひとりひとりの選手を見て、優れている部分や通用する部分を見抜き、どこまでいける可能性があるのかを判断する。

その到達地点を予測し判断・逆算して、今の指導にあたるべきではないのでしょうか

それが指導者のすべき責務だと思います。


日頃、様々なカテゴリーの指導者と話をする機会がありますが、
そんなきれいごとだけで少年野球は済まない。チームのしがらみ上そんな悠長な指導はできない。
そんなご指摘を受けることが多いのが事実です・・・。


なぜ、世間一般の指導者は「勝利至上主義に縛られてしまうのか」

それは高校野球は、「特別扱いの華やかな部活動」であるから。

・試合は全試合TV中継
・プロ球団の球場を使用
・大会期間中、民放TV局による大会番組の編成
・観客が何万人と入る
・入場料があり、ビールなどアルコールを販売し、飲食やグッズ販売などの収入もある

こんな特別で華やかな高校の部活動は、
世界的にみても国内の他の競技を見ても、
高校野球だけであると言えるのではないのでしょうか・・・。

高校野球へ直結する我々中学硬式野球は、
その影響を大きく受けていると言えます。

今年も当クラブからは来春高校野球強豪校へと進む選手たちがおります。
結果的にみれば、他所からは「甲子園」を優先しているようにも見えるかもしれません。
しかし、「志望動機」や「進学目的」は甲子園ありきではありません・・・。
ひとりひとり将来の進むべき道が違うから・・・


「甲子園」

今の日本の野球があるのは甲子園の影響が大きいです。これは紛れもない事実です。

しかし、この先100年間は、これまでと同様には絶対に行かない。

その理由については、また後日投稿したいと思います。